2010年



ーーー10/5ーーー 生き物の名前を知る
 

 顔見知りではあるが、普段あまり出会うことが無い人が家の前を通りかかった。しばらく立ち話をした。

 話の途中でその人は、隣家の庭先に咲くコスモスに止まった蝶を指差し、「ツマグロヒョウモンチョウ」だと言った。その蝶は、もともと関西より南の地域にしか生息していなかったのだが、次第に生息範囲が北上しているとのこと。これも地球温暖化の影響によると見られており、新たに発見された場所が話題になる蝶らしい。

 その人は、植物や野鳥、昆虫に詳しいようであった。自然観察会などのイベントに招かれることもあるらしい。私が「身近に見られる雑草や鳥類の名前が、なかなか分からなくて、口惜しい気がします」と言うと、「それは誰にとっても簡単な事ではありません。興味を持って、長い年月をかけなければ、身に付かないものだと思います」と返した。

 私は学生時代から本格的に登山を始めたが、山に登る目的はいわば冒険的なものであり、山の上で見る植物などには全く関心が無かった。

 大学を卒業して企業に就職し、やはり登山のサークルの所属したのだが、この時初めて、高山植物の名前を覚えるようになった。山行を共にするメンバーの中の女性軍が、高山植物に対して大きな興味を示すので、次第に感化されていったのだった。今では自信が無いが、その当時は50種類ほどの名前を言い当てることが出来た。

 高山植物は、花や葉に特徴を有するものが多く、覚えるのは比較的簡単だと、私は思う。それに対して、林間の植物や、雑草などは、どれも同じように見えて、区別が付きにくい。

 先日、裏山に登り、生えている植物の葉を五種類ほど持って帰った。手が届く高さに葉が付いている樹は、低木か幼木である。そういうものに限定すると、種類はあまり多くないように見受けられた。もっとも、私の見方が雑なのかも知れないが。

 その五種類が何であるか、自宅に戻って調べようと思った。ところが、調べようが無いのである。樹木図鑑を見ても、同じような樹ばかりで、しかも樹木全体の写真などを見ても、持ち帰った葉と比較できない。ネットにはいろいろなサイトがあり、少しは気が利いているものもあるが、決め手は無い。検索に載せようとしても、どのようなキーワードを入れたら良いかも分からない。

 科学万能の様相を呈している現代に於いて、林から持ち帰った一枚の葉を前にして、その素性を知ることもできない。なんとも歯がゆいことである。

 学校教育は、教師から生徒へ知識を伝える一方通行である。しかも、教科書に書いてあることは、世の中の出来事を、言わば目の粗いフルイにかけたような、基本的で大雑把な事でしかない。それを読んで理解することを勉強と称している。

 その一方通行とは逆の方向で知識を得ようとするなら、事は極端に難しくなる。つまり、知識というものは、上流から下流へ伝えるのは容易だが、下流の空白状態から遡ろうとしても、容易には上流へ達せられない。

 難しい数学や物理学の話をしているのではない。身の回りの植物や、鳥や、昆虫のことである。それらの名前を知り、性質を理解し、親しみを感じたいと思うだけだ。そんな事すら、簡単には実現できないのである。

 我が家の周りには、まだ自然が多い。多くの樹木、雑草に囲まれ、鳥や蝶も日常的に目にする。それらの膨大なる自然物に対して、知っている事はほとんど全く無いと言って良いほど少ない。別にそれでも問題無いのだが、たまに思い出したように、不満な気持ちになる。




ーーー10/12−−− バーボンは難しい


 知り合いが、貸してあったコミックを返しに来た。そして、バーボン・ウイスキーを一本差し出した。そんな気を使わなくても良いのにと言いながら、有り難く頂戴した。

 バーボンという英単語は、発音が難しい。日本人がこの単語を言って、アメリカ人に通じれば大したものだと言われるくらいである。それを実際に経験したことがある。

 大学を卒業して二年くらい経った夏に、大学山岳部の先輩S氏と二人で、アラスカへ旅行に行った。そのときアラスカ鉄道に乗ったのだが、S氏が「せっかくアラスカに来たのだから、バーボンでも飲もう」と言い出した。二人で列車内の売店へ行った。

 カウンターの向こうの若い女性に、S氏が「バーボン プリーズ」と言った。しかし、相手は首を傾げている。通じないのだ。S氏はいろいろ発音を変えて試してみたが、相手は困ったような顔をするばかり。さらに、知っているバーボンの銘柄などを口にしたが、それも徒労に終わった。

 そうこうしているうちに、相手は何か感じたようで、「はーい、分かりました」と言った。S氏はホッとした表情になった。しかし、次に彼女の口から出た言葉が、S氏を打ちのめした。「コークとセブンアップがありますけど、どちらにしますか?」

 S氏はギョッとした顔で私を見た。しかしすぐに気を取り直して、女性に向かってこう言った「それではセブンアップを下さい」


 ついでに言うと、その列車に乗るときもひともんちゃく有った。

 アンカレッジまでの切符を買おうとしたのだが、それが通じない。S氏が口にする「アンカレッジ」の発音が良くないようだ。いろいろ発音やアクセントを変えてみても、窓口の中年女性は「ノー」と言う。こちらもイライラしてきた。アンカレッジは終点である。旅行者なら、そこまで行く人が多いだろう。ちょっと気を利かせれば、「この外国人はアンカレッジに行きたいんだな」と分かりそうなものである。多少発音が悪くても、アとンとカとレとジが並んでるのだから、想像が付いても良いではないか。

 まるで意地悪をされている気にもなったが、相手は真剣である。そしてようやく「ひょっとしてアンカレッジか?」と言った。こちらが「イエス」と言うと、相手は何度も首を横に振りながら、「なんだ、アンカレッジだったのか、信じられないわ」と言うようなゼスチャーをした。

 アメリカ人は気が利かないのか、それともS氏の発音がひどすぎたのか。



ーーー10/19−−− 根付を作る


 今年も展示会が迫ってきた。これで三年続けての開催となる、千葉県習志野市での展示会である(詳細は→こちら

 この展示会には、毎回スペシャルな小物を作って販売している。販売だけでなく、お世話になった方に、お礼として差し上げる。一昨年は「蟻組みペン立て」、昨年は「カード・スタンド」。いづれも700〜1000円程度で、気軽に購入できる価格である。小さなものでも、何か買ってもらえば印象に残るだろうという、支援者からのアドバイスに従った。その狙いは当たったように思う。

 今年は「根付」を作った。根付というのは、和服の時代に印籠などを帯に止めるために使われたもの。今回作ったものは、そういう目的というよりは、携帯ストラップの機能に近い。もちろん携帯電話以外の小型電気製品、デジカメやウォークマンにぶら下げても良い。あるいは、鞄のファスナーのツマミとして使っても洒落ている。キーホルダーのワンポイントにしても可愛いいだろう。

 ポイントは、二種類の色違いの材を、木組みの技法で合体していること。それをロクロ加工で丸くすると、尾びれのような模様が互い違いに現れる。四角い状態では、このようなパターンにはならない。色違いの尾びれが、均等な大きさになるためには、ちょっとした計算をする。その計算の寸法で作れば、予想通りの模様になる。

 大小様々な形を試作した。その中から気に入った数種類を、ロクロ師に頼んだ。出来上がったのが、右の画像のものである。これはまだ一部で、展示会までにはかなりの数が揃う予定である。

 根付には紐を通す。当初は、2ミリのナイロン・ロープを使おうと考えた。ところがその紐では、携帯電話に通すのが難しい。また、見た目にもちょっとダサい感じがあった。そこで、携帯ストラップの紐を使うことにした。「ダル組紐」という名称のもので、腰があるのに癖が無く、とても使い易い素材である。しかも、十分な強度がある。

 それをどのように根付に取り付けるか。はじめは、ダル組紐を直接通すというアイデアは無かった。細かい点で、技術的な障害が予想されたからである。しかし、ロクロ師とも協議をした結果、2ミリに満たない細い穴でも加工が可能なことが分かり、実現の運びとなった。

 紐は、5メートル単位でネット通販から購入した。色のバリエーションが豊富で、選ぶのも楽しい。

 さてこの根付、木組みが持つ意匠的な面白さを狙ったものだが、異質なものが組み合わさって一つになっているという、象徴的な意味合いもある。良縁が結ばれることを願って、あるいは夫婦円満のお守りとして、身近においてもらえれば有り難い。









ーーー10/26−−− リンゴ無残


 近所の農家のリンゴの木が、今年は様子が変である。この時期、他のリンゴ畑では、丸々とした、真っ赤な身が鈴なりになっている。ところが例の農家の木は、小さくしなびた茶色い実が成っているだけである。

 直接その農家から聞いたわけではないが、今年は手入れをしなかったらしい。農業をやっていた親父さんが高齢になり、体がきかなくなって、仕事ができなくなった。若旦那は勤め人であるから、手が回らない。ついに今年はリンゴ作りを諦めたようだ。

 毎年この時期には、同じ畑に真っ赤なリンゴが、枝もたわわに実るのを目にしたものだ。それが見られないのは、なんとも寂しい。いや、枯れ落ちたような木々が立ちすくんでいる姿は、寂しいを通り越して、恐ろしいような光景ですらある。

 手入れをしないというのはどういうことか、私には分からない。肥料をやらなかったのか、それとも害虫や病気の対策をしなかったのか。

 この地に引っ越してきた当初、父が自宅の庭にリンゴを植えようとしたことがあった。それを近所の人に話したら、やめた方が良いと言われた。リンゴの木は、専門的な農薬を散布しないと害虫が付く。害虫がリンゴ農家へ伝染したらたいへんな事になるので、素人は手を出さない方が良いと言うのであった。

 となるとこの農家も、害虫駆除をしなかったということは無いだろう。リンゴの木を植えている限りは、害虫対策をする責任があるからだ。こうしてみると、不作の原因として残るのは、肥料をやらなかったことになる。あくまで私の想像だが。

 ともあれ、リンゴの木というものは、手を掛けなければ食用になるものが採れないのだ。品質が良い悪いという程度の問題ではない。全くダメなのである。これには少々驚いた。リンゴ畑の脇にあるカキの木は、何もしないのに毎年たくさんの実を付けるのだが。

 以前、生態学の研究者の講義を聴いたことがある。今回のリンゴの出来事で、その先生の話を思い出した。「日本のリンゴは大きくて、甘くて、不自然ですよ。外国にはそんなリンゴはありません」

 リンゴは大きくて甘い方が良いに決まっている。しかし、それがいささか自然から離れていることは、確かなようである。









→Topへもどる